うつとしにたい

ひとはしんでも、いいらしい

うつとうつへの”理解”について

 

どうもどうもこんばんはこんにちはハローハロー、おげんきですかやまもとくんです。

前回記事でしばらくお休みしますと言ったわりにはかなり早めのご帰還ですなあという感じですが、とりあえずとにかくTwitter以外で見て下さっている人にはお久しぶりです。いるのかしらんけど。

碌な新年のご挨拶もできなかったので2週間たとうとしてるけど改めてあけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い致します。

 

といったところで。本題へ。今日は「うつとうつへの”理解”について」というお題です。お題というかテーマというかお伝えしたいことというか。

 

はてさて、実はわたくし年末年始ちょうど大晦日から2日まで人生で1番といっていいほどの錯乱を三日連続で果しまして。前の記事に書いたかちょっと覚えてないけど、本当はそれを年始一発目のブログで面白おかしく昇華してなかったことにしようと思っていたんです。

が。

あまりにも傷が深く、書きながらおかしくなってしまってそこに加えて原因があって2日の錯乱に繋がってしまったのもあり、いまだにどうにもできない傷として横たわっておるわけです。なので、これは時がきたらいつか治るものだと信じて生身の傷のまま放置しております。

 

今回の記事は、その傷から得た話です。

大晦日元旦二日と、泣き叫びながら半狂乱で自分を傷付けていた(物理)わたしがようやく落ち着いて数日たって傷に触れられるようになってから書けるようになった話かと思います。それでもまだどうにもならない傷でもあるからそこは置いておいて。

 

とにかくぜひ、長くなるかもしれませんが、うつの人もうつでない人もご覧ください。

そして、よろしければ多くの人に広めて読んでいただければと思います。

いうてそんな大層な記事ではないのですが、何か心に当たるボールがひとつかふたつでもあればぜひよろしくお願いいたします。

まあTwitterで話したいことの概要は話してしまったのであれなんですけどね。

 

まず、お話したいことがあります。

今までわたしは割と「うつのしんどさ」は「症状はそれぞれ違うなりに、同じうつならそれなりに理解はできる」という前提で物事を話していました。

まずこれが大間違いです。大間違いでした。

これは、同じくうつを患っていた姉に直接はっきりと「お前がつらい意味がわからないし、つらい気持ちもわからないし理解できない」と言われたことが気づくきっかけです。

あああこれを思い出すだけでしんどい。

 

もちろん前後左右の会話がありますが、とにかくこれで気づくに至ったわけです。

 

Twitterとかで「元うつ病経験者、あなたの気持ちわかります、つらいときは相談してください」などとのたまってる野郎がどこまで理解できるかはしりませんが、どんなうつ病患者であろうと別個の人間である以上100の理解は100無理です。

姉が特殊というところもありますが(これは傷が癒えたら書きます)、同じうつ病患者であろうとせいぜい20~30パーぐらい理解できてればいい方です。たぶん。だって同じ経験した人間が同じ経験をしている人間に対して「構ってちゃんとしか思えない」と発言するくらいなのですからいいとこ20とか30とかくらいでしょう。

わたしは他人のうつ症状に対して8割くらい理解できているし、同じ患者なら8割くらいはしてもらえていると思っていました。理解していると思っていたのは自分の傲慢とあとは理解したいという願望であったと思うし、してもらえると思っていたのは(まあわたしの場合身内ということもありますが)甘えであると思います。

 

で、そうなってくると今までうつ病患者にもなったことがない・会ったこともない・まして身内や友人に現れるとも思ってない世間の一般ピーポーたちのレベルに合わせて考えると3パーくらい理解してくれてたら超ハッピーでラッキーです。

これは言い換えるとこのブログのいろんな記事の最中にも書いていることはではあるんですが「普通にしてくれているだけでラッキー」でもあります。もはやそれが3%分の理解と言っても過言ではないと思いますし、それぐらいの理解度で十分なんです。だって理解できるわけがないから。

 

この理解できるわけがない、というのは、突き放して「どうせ理解できないんだから放っておいてよ」という意味合いではなく「理解できなくて当たり前だからそれだけでありがたいよ」という意味合いの理解できるわけがない、なのです。

 

ただしこの”理解できるわけがない”が本当に厄介なもので、うえにも書いた通り、3パー理解を示してくれたらラッキーなレベルなので、普通は理解ゼロだと思ってかかったほうがよろしいかと思います。

特に身内は、身内だからこそ「理解してくれるだろう」「理解しようとしてくれるだろう」という気持ちがあるから余計にしんどいことになります。

 

またわたし自身の身内の話を引き合いにだして恐縮ですが、わたしの姉は、アニが「理解できないっていうならちょっと考えて話してあげてほしい。せめて一緒に病院に行って一緒に話を聞いてあげて」と言ったにもかかわらず、即座に「やだ」「それじゃあ腫物みたいに扱えばいいわけ?」と言いました。理解すらも拒絶したのです。

 

わたしは姉に対して「同じだったし理解してくれるだろう・しようとしてくれるだろう」と思っていたからこそ余計にしんどく、いまだに思い出してはぞわりぞわりと不安に追いやられるのですが、ただ、うつが理解できない=悪ではないということは覚えておいてください。これはうつ病マンの人たちも、うつが理解できないと苦しんでいる身内の方も、うつを理解する気がない人も、です。

 

これは大きなポイントです。風邪なら理解できるでしょう。インフルやノロや癌や脳卒中やそういうものなら理解できるでしょう。でもうつは心がどうにもならない病気です。他人の心は外から見えません。だから再三いいますがうつ病マンなら20%、うつ病じゃない人たちなら3%ぐらいが限界なんです。

 

でもそれだと「それじゃあどないせえっちゅうねん!!!!!!!なんも信用ならんやんけ!!!!!!」ってなるよね。わかる。それな。

 

まあ実際ぶっちゃけどうもできません。

 

多くの理解を求めるだけ無駄なんです。かなしくてさみしいことだけど、そこで理解を求めて理解されずに傷つくくらいなら諦めた方が早いです。

 

でもそれじゃあ何の解決にもならないんです。

 

ここでもうひとつ自分の思うことは

うつを理解しようともしない=悪

であるということです。

 

厳密にいうと、理解しようともせずにうつ病の人間を一方的に責め立てることであったりとか、理解しようともせずに「心配」という一見やさしさにみえる暴力で痛めつけてくるということが悪なのだと思います。

 

うつ病マンを「心配」する、ということは、「理解をしようとしてくれる」ということで十分に間に合うのです。

ご飯を食べたくないときに無理にご飯を食べさせようとするのは愛情です。でも、食べずにいたら「なんで食べないんだ」と怒るのはもう「心配」ではありません。

外に出たくないというときに無理やり外出させて元気づけようとするのは愛情です。でも、外は出たくないと断ったら「外に出ないと元気でないよ」などというのは「心配」ではありません。

それらはすべて相手のエゴであり、暴力だとわたしは思います。

 

けれどその上で、我々うつ病マンは被害者ヅラをせず、「理解しようとして頑張っても理解できずに苦しんでいる人もいる」ということを知っておくべきです。

 

頑張ってるけど理解が追いつかなくてついきつい言い方をしてしまう人もいます。でもそれは、うつ病マンは確かにしんどい思いをするかもしれないけれど、うつ病じゃない、理解をしようとしているけれど理解できずについきつい言い方をして後悔をしてしまうのです。そしてそれについて日々悩んでいるのです。これはわたしの場合、母に当たります。身内の話ばかりで申し訳ないけれど、身内の方がおそらくそういう人は多いんじゃないかと思います(友達だとそこまで深く踏み込まないし踏み込ませたくなければいくらでもやりようがあるからです)

 

それを知っているだけで、たまにつらいような物言いをされても、錯乱したりすることはありません。もちろん傷つくし落ち込むけど大した傷にはならない。もちろん相手への信頼と理解の範囲の話なので人それぞれ境遇もなにもかも違います。

 

我々うつ病マンたちも、理解されて当たり前とか優しくされて当たり前とは思わない方がいいよということと、理解されなかったとき相手を責めるのは違うよということと、どんな形であれあなたを本当に心配しているけれど傷つけてしまう人がいるということも知っておいてね、ということです。

あなたのうつのことを理解できないという相手をむやみやたらと責めてしまうと責めてしまった自分のことも責めてしまって苦しくなるから、相手を責めるなとは言わないけど、ほどほどにしておいてね。

 

もちろん、うつ病マンであるあなたには一切の落ち度もないし、なんにも悪いことはしてないからそこは安心してほしい。そして、責めて気が晴れるのなら責めてもいいし恨んでもいいよ。晴れないならやめておこうね。

 

悪いのは「理解しようともしないこと」「理解の努力もせずに心配という名前の暴力を振るうこと」

 

家族だからと関係性を盾にして理解を放棄して「心配」の一言で感情を押し付けたり、理解もせず決めつけて「お前がだめだから」などと言うのならそれはもう赤の他人であるし、もし少しでも理解したいというのであれば、いっしょにお医者さんに言ってみてください。先日わたしも身内を連れていきましたが、別に嫌な顔もされませんでしたし、これが1番いい方法です。

 

うつ病マンは冷静な判断も冷静な対処も自分が思っている以上にできないものなので、お互いに言い合っても平行線をたどるだけです。恥ずかしいかもしれないし、つらいかもしれないけど、一緒に病院に来てくれと言ってみてください。

 

そして、うつ病マンじゃないみなさんは、理解してるつもりなら本当にそれが相手にとって正確な対応なのか考えてから行動してみてほしいなと思います。そして、理解したくないならなにも言わずに干渉せず、放っておいてやれと思います。

 

Twitterでも言いましたが、誰も悪くないけどこのままだと辛いから少しでも理解しあえるように話をしようよというだけのシンプルなお話です。

 

それでもうちの姉のように理解もしたくないし理解する気もないのであれば、お互い接触しないように出来うる限りしてみてください。そしてお医者の話を聞いてもなお理解できないような人たちなのであれば、それこそ一人でお医者にいったときに相談をしてみてください。

 

我々は病人です。かといって、病気を治す努力を怠るのであればそれはもう罪です。理解しようともしないことと同等レベルの罪です。病気を治すための一助だと思ってどうか、この記事をご覧いただいていれば、と思います。

 

そして最後に一つだけ。

 

長らく書きましたが、ここに書いたことは一例であり、自分の経験談から得たものです。あなたの場合は全く違う結末があるかもしれません。

あなたを理解しようともしない人間のことを考えるだけ無駄なのです。我々うつ病マンの心のリソースはほとんどないのです。

だからこそどの記事でも絶対最後にいうけど、無理だけは絶対にしないでください。お願いだから、ここに書いてあることを無理にやろうとはしないでください。あなたができるときにでいいんです。あなたがそうだとおもえたら、少しでも共感できるのであれば参考にしてもらえればいいんです。焦らないでください。これは自戒でもありますが。

 

わたしは前回お休みするといった記事でわたしが今まで書いたものが無意味だったのかもしれないというようなことを書きましたが、それでもやっぱりこういう記事を読んでひとりでも気が楽になればと思いますし、うつ病マンじゃない周りの人たちの理解の一助になれればとも思います。

 

ただ、やっぱり一介のそのへんにいるただのうつ病患者なので大それたことはできませんし言えません。ただひたすら、みんながすてきな気持ちでいられればいいなと願いながら、今回の記事をおしまいとさせていただきます。

 

 

 

言っておくけど、わたしは姉のことをめちゃくちゃに恨んでいます!!!!!!!!!!!!!!

そんなもんでもいいんだなって、これで思えてもらえたなら幸い。