うつとしにたい

ひとはしんでも、いいらしい

うつと焦燥とその罪悪について

 

こんにちはやまもとくんです。

本日のテーマは「うつと焦燥とその罪悪について」

ごくまじめに書きますので何か少しでも何かの足しになれば。

 

ぼくは以前より、不安えびせんやほかの記事でも都度書いてきたきたことがあります。

 

ぼくらうつマンは、それは唐突に考えても意味のない不安にかられたり、どうにもならないことへの焦燥感に追い込まれたり、自分自身がうつになったことによって周りの人間に”迷惑をかけてしまった””自分は許されない””人として生きてゆけはしない”という罪悪感に苛まれたりする。

 

そういうようなことを、細かく書いてきました。

今日はそれについてもう少し深く記載し、のちの自分が見たときに笑えるように、今どうにもならなくなっているひとが少しでも何か一筋でもすがれるように、至極真面目に書いていきます。振りじゃないよ。今回は本当。

 

 

よく、ネットでは「うつになりやすいヒトの傾向」みたいなことが書かれていますね。

まじめで几帳面、人の頼みが断れない、人を頼るのが苦手、しんどいつらいを口に出せない、「○○しなければならない」という考えや責任感が強い、頑固、一本気。

おそらくこれは大まか正解です。とくに「○○しなければならない」という考えや責任感が強い人。

 

今回は基本的に職場での仕事や人間関係で発症したかたを例に出していきます。

 

ぼくらの、というふうにひとくくりにしてしまうには、うつ病の人の症状は人それぞれですが、今回は便宜上ぼくらというふうにひとつのくくりにしてしまいますが、とにかくぼくらのようなうつ病患者たちはその「しなければならない」に常に追い込まれることになります。そして「しなければならない」が強く責任感で動き回り続けていた人ほど「わたしがうつになり休むことによって大きな迷惑がかかるから、休んではいられない。働かなくちゃ」と思います。

いやいっそ「働かなくちゃ」と思ってくれるならまだマシかもしれません。うつの大敵は「焦り」です。ぼくたちは追いかけてくる焦燥感や身動きをとれなくする罪悪感と常に戦闘態勢になっていなければなりません。だからしんどいし死にたくなる。常に気を張っている状態なのにさらに気を張る状態にさせられる。

そんななので、「働かなくてはならない」の「ねばならない」思考の人であれば、「おまえは今休むのが治療だ」と言えばなんとか理解してくれます。理解してくれるというよりも、理解はできないけど自分だってどうにもならないから、それを受け入れてくれる可能性が高いです。「治療なのであれば休まねばならない」という感覚になっていただければ儲けもん。

 

でも中には、「○○しなければならない」ではなく「○○したい」という人がいます。

働いていて、仕事が理由でうつになったのに、休まなければどうにもならない状態にまでなってしまたのに、「仕事したい」という人がいます。

 

ぼくです。

 

ぼくは正直いまだに仕事したいと言いながら薬を飲み毎日うちの中で死にたいと願います。

仕事したいのに仕事に関するようなことにふれると吐き気や震えが止まらずどうにもなんなくてただひたすら泣いたりわめいたりする。すごいわけがわからないと思うしょう。わたしもわけがわからないんです。

 

仕事したい。

あれもこれもやりおえてない、きっとわたしはもっとうまくやれるんだ、休まないでもうまくできるからやりたい。仕事したい。仕事に行きたい。仕事がしたい。

 

仕事のことや仕事先の人との会話どころか一人で外にでることすらできもしないのにです。

でも仕事がしたいしたいしたいしたいという願いがある。こればかりは本当にそういう気持ちなのでしょう。

仕事をしていなければ人間でないとすら自分で思い込んでいますし、仕事に早く戻らなきゃと不安と焦りがない交じりいつでも仕事がしたいと願い発言してしまいます。

 

でもそれは結局ほとんど9割、「しなければならない」からくる焦燥と、罪悪感です。

あなたの胸に手を当てて、本当にそれが”じぶん”なのであるかどうかすこしだけゆっくりと考えてみてください。

本当の”じぶん”が本当は「あのパワハラクソおやじと死んでも顔合わせたくねえ」とか「あんな業務どんなにがんばってもやりきれないよ」とか「なんでだれもたすけてくれないのだろう」とかこれらはほんの一例ですが、胸に手を当てて考えたときになにか頭をよぎる原因や憂鬱になるような思いがあるのであれば、そしてその”じぶん”に「それでもやり続けたいかどうか」と問いかけて、ほんの一瞬でも迷ったなら、素直に問いかけてみて、素直にほんの一瞬でも嫌ですと思ったなら、それが”あなた”です。

 

でもぼくらのようなひとのめんどうなところは「いやでも、それは、甘えだから」とか言い出すところです。甘えじゃないです。あなたの悲鳴です。あなたが上げている悲鳴はあなたが気づかないうちにあなた以外の人の耳に届いているときだってあります。

 

それでもなお面倒くさくて回りの方にはご迷惑おかけして申し訳ないなとも思うけれど、ぼくたちはそれでもなお、なお、なお、「嫌だと思った自分を否定して、一瞬迷った自分に蓋をして、いや仕事したいです」と言い始めたりもするのです。

 

ばかだね。でもそうしないとぼくらは立っていられないのです。そうしないと立っていられない地点にまできてしまったから、そうしないことを選ぶことによって自分が立てなくなってしまうと思い込んでしまう。

 

いまそうして人間であろうとしているうつのみなさん。わたしも含めて。

だいじょうぶです。やすんだって、”じぶん”が本当の本当に思ったことに従ったって、あなたはちゃんと人間です。そしてこれからも立っていられるし、しんどいときは座れます。

 

ぼくはどんな記事でも、「しんどいつらいとさけんでいい」「すなおにしにたいとさけぼうぜ」と言ってきたつもりです。

 

それとおんなじことをぼくは今日この記事で言っているつもりです。

 

「しなきゃならないなんて思ってない!仕事なんか嫌だ!あいつの顔なんかみたくもない!」

「仕事したいなんて思えない!仕事なんて怖い!外になんて出れない!」

「仕事がしたい!それでもぼくはどうしようもない!身動きが取れない」

 

しにたいとかしんどいつらいを叫んでいいのに、それを叫んじゃいけないわけがないじゃないですか。そんなこと云っちゃいけない思っちゃいけないなんて誰がいうもんですか。自分のなかでの叫びをなんで誰が責めますか。

 

あなたはいまのいままで自分を無視してきていませんか?悲鳴をあげていることにも蓋して平気なはずなのになんでだろうなんでだろうと焦ってはいませんでしたか?

 

けれど蓋から漏れた悲鳴が自分だけではなく人にまで聞こえてきたときはもうあなたは十分に傷つき、疲弊しきっているんです。

 

あなたは本当の自分の悲鳴の声を知ってください。悲鳴がどれほど切実でかなしくて、それでも、ああ、”じぶん”だとおもえたのなら、あなたはちゃんとこれからおやすみだってたくさんしても、のんびりしても、だいじょうぶになります。

 

あなたのきもち、こころは、どういうふうに言いますか?

本当に「したい」ですか?それとも一瞬でも迷いましたか?

どうでしょうか。

 

休むことは罪ではありません。休むことで休まることで見えてくる答えもあります。

 

休んでみたことで、立ち止まって見たことで、一瞬迷った自分を信じてあげてみたことで、もしかしたら「本当に本当に仕事がしたい」自分に気づくかもしれませんし、それに気づいたのなら、どうすればそれができるようになるのか、お医者さんや、専門家の人や、信頼できる人や、そしてなにより本来の”じぶん”と話してみてあげてください。

 

「本当はやっぱしんどいし無理してた」と気づいたのなら、すっごいたくさん休んで、やりたいことやってのんびりしましょう。

 

うつとうつになって理解したことという記事にも書いたのですが、焦ったところで治るどころか悪化するのがうつ病です。でもぼくらは常に焦燥に追い立てられています。だから立ち止まって休んでみるのが大事なのです。それでもぼくらは焦燥と戦い続けることを強いられます。休んでたって強いられるんだから、仕事とかしながら戦い続けるのなんて、さらにしんどいことできるわけなくないですか?できる人はうつにならないんでだいじょうぶだし、かといってそれが偉いわけでもなければ強いわけでもなく、人類としての個性としての感性の違いなだけなのに、なにを怖がることがありますか。

 

だいじょうぶ。

 

ぼくは折に触れていつも仕事にいきたいと願い、その都度ほんとうにそうなのか問うことにしています。いつでも帰ってくる答えは「NO」だし、「復帰しなきゃいけないと思っている自分」が顔を出してくるだけです。

 

もちろんそうじゃない人もいるでしょう。でも、ぼくと同じように焦り困惑しどうにもならないとき、あなたはお休みしていいしお休みが治療なのでむしろお休みしてください。何度も言いますが、風邪をひいたときに無理に仕事させる野郎はクソ野郎です。ふつうは休ませます。だってあなたが心配です。しんどいつらい仲間がいたら、ともだちがいたら、家族がいたら、心配です。

 

だから休んでふれあってください。本当に思うことを考えてあげてください。”じぶん”が言いたい叫びをぜんぶ聞いて、蓋をしないであげてください。

 

あなたはぜんぜんわるくない。しにたくてもつらくてもしんどくてもやるきになれなくてもなんもかんも捨てたくなってもぜんぶこの世はあんがい許されているみたいなので、おねがいだからじぶんを見つめてあげてください。

 

 

 

自分の体験が仕事での体験だから、こういう書き方になってしまったけれど、学校でつらいきもちになっている子も、にげていいし、さけんでいいし、しにたいとおもうことを止めようとしなくてもいい。相談できる信頼できる人間を頼っていい。はずかしくない。叫んでいい。薬飲むのだって悪いことじゃない。しにたいことも悪いことじゃない。にげていいんだから、おねがいだからあなた自身のことを悪いこだとはおもわないで。

 

 

 

この記事を読んだうつ病ではない、うつの友人、家族、仲間がいらっしゃる方へ。

ぼくらは決して、「うつでつらいんです」というアピールをしたいわけではありません。ただそれでもぼくらはひたすら戦っていると言ことだけは知っておいてもらえたらうれしいです。しんどいとつらいを抱えてどうにもならない思いを抱えています。ただ、それだけを知っておいてくれさえいれば慰めも励ましもなにひとついりません。

ぼくらがほんのり元気なときに今日面白かった話をしてあげてください。しにたいといったとき、そうだねとだけいってそばにいてあげてください。

ご面倒をおかけするかもしれない。俺たちだって戦ってるのに、と、思う人もいるかもしれない。でも、ぼくらの土俵の上でぼくらも必死に治そうと戦っています。のんびりしたくないのにのんびりさせられるという地獄もあるのです。

きっと理解はできないでしょう。それが正解です。理解できないことを責めないでください。理解できてるのを装うのもやめてください。すなおに「わたしにはわからないけれど」と伝えていただいていいです。それでも本当にぼくらのことを少しでも思っていただけるのであれば、「わたしはあなたがしんぱいで、だいすきだよ」と言ってあげてください。

 

わたしはわたしの大好きな人たちに会うのが怖くて怖くて、見捨てられるんじゃないかとか、かまってほしいだけだろとか言われるのが怖くて、誰にも本当はうつだと言えていません。怖いです。本当に怖いんです。

そうじゃないにしても、同情されて、たいへんだったね、つらかったね、なんていわれたくないんです。大好きな人に大好きな人たちにいままでのわたしであるがままにいることをゆるしてほしいのです。

本当に怖い。本当に怖いんです。だから昔の元気だった自分に早く戻りたくて元気になってうつなんかそんなことなかったことにしたい。

 

けれどそれこそがぼくらの敵です。最後に自戒を込めてお伝えします。

休もう。きれいなものをみよう。すきなことをやろう。やりたくないことはやらずに眠ろう。しにたいときにはしにたいとさけぼう。しんどいつらいさみしいくるしいぜんぶぜんぶぜんぶじぶんの言えるすべての言葉をことばにして叫んでしまおう。泣いてもいいし笑ってもいいし怒ってもいいから、あなたが休まることをしよう。だれにもまけないくらいゆるゆるしてから、やりたいことをやりまくろう。休もう。のんびりしよう。なんだってぼくらはだいじょうぶ。だいじょうぶなんだよ。しにたいね、しんどいね、くるしいね、それでもいいからまだゆるくあろうよ。ぼくらがぼくらをゆるしてあげることをしよう。なんだっていいからゆるしてあげてくれよ。だいじょうぶだよ。あなたがだいすきです。

 

 

 

以上で今日のお話はおわりです。泣きながら書いた部分の支離滅裂さがすごそうだけれど推敲はしないでそのまま出します。ただ誰かに届いてくれと願う。誰かに届いてくれると信じている。