うつとしにたい

ひとはしんでも、いいらしい

うつと”ふつう”

 

こんにちはどうもどうもやまもとくんですぞよ。

ここ数日、先日の斎藤陽道さんの本の記事をご本人にTwitterでご紹介いただき、爆発的に閲覧数が当社比増えていてビビっておりますが、ぼくはぼくの好きな物事にだけフォーカスして生きていきたいので、気にせず今日の記事を書いていきます。

 

今日は結構まじめなテーマ、「うつと”ふつう”」

 

え?瞑想?なにそれこわ……エッ……何言ってんのか超よくわかんない……だから楽しみにするなと言ったのに……(後日また日を改めて書きます)

 

うつと”ふつう”、今回のテーマはこれです。”ふつう”とはなんぞやという話です。

”ふつう”と表するか、”人の道”と表するか迷ったけど、とりあえず今回は”ふつう”というテーマでいきます。思うところがあったからこの記事を書くに至りました。

 

 

 

みなさんはふつうってなんだと思いますか?

例えば、高校とか大学とか出て就職を経て結婚をして子供が生まれて順調に育って時には喧嘩したり分かり合えなかったり泣いて笑って怒って孫が生まれて泣いて怒って笑って最後に死ぬ。

これって、なんとなく誰もが想像することだと思うんですけどごく標準的な幸福な一生ですよね。もちろんその生活の中で悩みや苦しみなどがあったとしても、おおよそ平凡にごく”ふつう”に幸福に生きて死ぬ。ごくふつうなんだと思うんですこれって。

 

一生の単位でいわないのなら、例えば中高生の方とか、クラスに絶対中心人物的なグループありますよね。クラスでだいたいの方向性をみつけるグループ。たぶん、あれがふつうなんだとおもうんですよね。ぼく属したことないんでわかんないんですけど。ぼくはあれがふつうだと思うんです。

 

髪の毛とか茶色で、流行のお洋服着て、ともだちといっしょに遊びに行って写真とったりして、インスタにあげて、彼氏の愚痴とか仕事の愚痴とかなんとかいって、そいで、なんかいい具合に出会った人といい具合に結婚とかして。

 

ごくふつうのひと、いますよね。

 

でもぼく、マジでそれだけがふつうなのかなあと思うようなことがあったんです。

 

わたしの10年来の友人で、小学校から仲のいい奴から、数年ぶりに電話がありました。

たぶん会話するの3、4年ぶりくらい。しんどくてしんどくてどうにもならなくなってしまって電話をぼくにくれました。

正直ぼくだってしんどい。できれば話したくない。でもなんかそいつの電話はその瞬間でないといけない気がしてでました。出て、本当に正解だった。

 

 

 

そいつは女の子で、クソみてえな男と5年付き合ってました。周りからも止められてたらしい。まあおまえがいいっていうならしかたねえけどといいながらわたしも絶対やめろと何度も言った男なんですが、そいつとの子供ができて、中絶をしたそうです。しかもその男はほかの女と結婚すると彼女を捨てました。

 

クソ野郎です。でも、彼女も馬鹿です。それでもそれ以上に、男はクソ野郎です。

彼女は才能もセンスも強い心もある素敵な女の子で、昔から馬鹿みたいにまっすぐな女の子でした。でも、超バカでした。すごい賢い、芯の強い、素晴らしい女性なのに、すっごいまっすぐで頑固な部分が、よりにもよってクソ野郎にぶつかっていってしまったんです。

 

もしかしたら、彼女を叩く人がいるかもしれない。わかりきってたことじゃないかとか、だからいったのにとか、たぶんわたしも、うつになって「しんどい」「つらい」「しんでしまいたい」がわかっていなければ、彼女のことを叱ってしまっていたかもしれない。

 

でも、彼女は泣きながら、自分は人殺しなのだと何度も何度も何度も何度もいい、「死にたい」と零しました。

 

泣きながら、何度も「わたしは人の道を外れてしまった」「もう誰にも合わせる顔がない」「申し訳ない」「ごめんなさい」「中、という言葉を書くことがつらい」「もう人のことを信じるのが怖い」いろんなしんどい、つらい、かなしいを、誰にも言えず、何年も抱えこんでいたつらいものを吐き出していました。

 

ぼくはそのなかで、「人の道を外れてしまった」という彼女の言葉をきいたとき、そんなことはないと強く思いました。

 

人の道って、何だろう。

 

例えば彼女が未婚の母として赤ちゃんを産んだとして、それははたして、正しかったのだろうか。

男は結婚する気もなく、お金もない。彼女自身はしっかりした子なので、お金も貯めてたし、稼いでもいたから平気だったかもしれないけど、でも、それで誰もが幸せになれたの?

 

正直なところ、私は「赤ちゃんを産まない」という選択肢が正しかったと思いました。生まれることのなかった命。彼女は馬鹿です。そんなふうに無計画だった馬鹿です。でもそれ以上に彼女はそのことを悔いていました。人の道を外れたわたしに人として愛されたり愛される資格はないんだと言いました。

 

彼女は馬鹿ですが、それ以上に彼女は正しい選択をできる賢者でもあったのだと思います。過ちに対して、正しい選択をとれる賢者でもあったのだとぼくは本当に思います。

 

彼女は人殺しでもなんでもありません。彼女は自分を人殺しだと責めました。でも、彼女は絶対にだれが何と言おうと正しかった。そればかりはぼくが誰に何と言われようと胸を張って言う。

 

彼女は産まなかった。産んだ子供を幸せにできるとは思えなかったから、相手もお金もなく、彼女自身の出生のせいもあって、より「子供を幸せにできないこと」への恐怖と、そしてその直観力というのは正しいものがあったと思います。

 

彼女は正しく、人の道を外れたなどとは、ぼくはほんの少しも思いませんでした。

 

わたしは中絶を経験したことがない。だから正しくそのつらさやしんどさはわからない。けれど、つらいときの苦しさはわかる。理解できる。誰にも言えなかった、苦しかったという吐露を、そうだね、と言いながら、わたしは、”ふつう”とは何だろうと思ったのです。

 

彼女は、本当にセンスも才能もあり、突出した女の子だったんです。息苦しいしつまんねえからという理由だけで高校を中退し、自分がその瞬間やりたいと思った出来事に全力を注ぎ、信じられないほどの輝きとパワーで生きてきていた。

 

たぶん、彼女のような生き物を天才と呼ぶべきで、才能と呼ぶべきであろうというほどに彼女はいろんなものを抱えて持っていた。しかしそれ以上に幼く寂しがり屋で頑固でまっすぐで、一人で生きていくバランス感覚はなかった。いわゆる変人です。だからいつも軋轢を生んでは、人とうまくやれないと零していた。いまも、そうだというので、そこは変わらないのでしょう。

 

でも、変人てなんだろう。ふつうってなんだろう。

確かに、彼女が変わっているなとは思う。でも、彼女が人の道を外れたとは思えないし、見ようによってはごく普通の変な子です。ふつうの変な子っていうのも変だけど、ふつうの変な子なんですよ。たぶん、うえにあげたみたいな、標準型の人生は死んでも送れないけど、でも突き抜けた、ぶっとんだ、誰にも負けないふつうの女の子なんです。

 

 

ていうか、人の道を外れていない時点で、それ、ふつうじゃねえの?と、ぼくは思ったのです。

 

 

だって、変な人だねえと言われる人、あなたのまわりのもいるかもだけど、じゃあ逆に、変な人って、どの物差しと比べて測って変なの?”ふつう”自体の物差しが人によりけりなのに、なんであいつは変だからってなんで排斥されるの?周りと合わせられないから?合わせる必要もないのにか?

 

彼女は、誰かを傷つけたわけではありません。普段からも、曲げられないだけで、誰かを傷付けるような人物ではありません。むしろ生来気遣いやで優しく、実際面倒見はめちゃくちゃよいです。人のためになることをしてあげることが好きな子でした。生意気というか、目上にごますれないというだけで。

 

むしろ彼女は5年間、よくもまあ耐えたな、というほどにその件の男にもほかのいろんな人間にも傷つけられてきました。それでも彼女は強く、そして真っすぐすぎるが故に曲げられず、傷つきながら突き進んだ。それを知っているからこそぼくは彼女を傷付け倒し普通のツラして生きていこうとする相手のことを一生死んでも恨み続けるし、彼女はそんなクソ野郎は忘れて好きなことに没頭しろと伝えました。それこそ、のんびりやりたいことやろうぜと。

 

彼女は洋服を作ったりするのが好きで得意で、ものすごいおしゃれでセンスのある人です。自分の作った服着て生活してます。余裕でお金にできるシロモンです。でも彼女は気づいてない。もったいない。彼女は絶対に幸せになる女です。わたしの知っている彼女は、絶対にぶれなかったのです。すごい、もうだれになに言われようと自分の世界を守り続けてきた。その力強さが悪い方向に捕まって一時的に崩れてしまっただけで、わたしは、わたしは彼女のパワーを信じ続けていますし、わたしは彼女のことを絶対的に負けない女だと思っています。わたしの大好きな友達。昔のパワーを取り戻してほしくて、たくさんのことを話しました。おまえは絶対に大丈夫だからと。年齢がどうのとかふざけたことをぬかすので、お前はそんな程度の女じゃねえよといって大笑いをして、電話を切りました。

 

いつか彼女が作った服をご紹介する日が来ます。なのでぜひ、お洋服がお好きな人は楽しみにしててください。

 

彼女はおそらく、世の中的には変な奴です。ぼく的にも、ぼく的”ふつう”定規上は規格外だったのでそう思っていました。でも今回、人の道を外れてしまったと何度もなにかに謝る彼女の言葉を聞いて、「人の道なんて外れてないし外れてなけりゃ全員真っ当だよ」と強く強く思ったのです。

 

だから、お前変な奴だなとかいって排斥されてる奴とか、自分はなんで人となじめないんだろうとか思ってる奴とか、おまえら全員まとめて大丈夫なので、自身をもってぼくはふつうだと胸を張りましょう。ふつうじゃない方がいいならそれはそれでいいけども!

 

 

ぼくはうつになってはじめて、うつになってよかったと本気で今日思いました。これから先思う日なぞ死んでも来ないとは思いますが、彼女が中絶をしたという話をして、つらい、かなしい、くるしい、どうしていいかわからない、そうして泣き出したときに「そうだね、それはしんどいね」と声をかけてあげられたことが本当にうつになってよかったと思った瞬間でした。

逆に言えばマジでそれだけなんですけど、たぶん、ふだんのわたしだったら、「しんどかったね。たいへんだったね」と言えたところで「でも、だからいったのに」ときっと叱ってしまっていたと思います。だからうつになってよかった。電話終わった後ひきずられてしんどくなってしまったけど、でも、それでも、彼女がげんきにらいんで未来のことを話してくれた瞬間に救われました。ぼくはまちがっていなかったし、彼女はもっとまちがっていなかった。

 

”ふつう”ってなにかなっておもったとき、たぶんきっとみんな”ふつう”なんです。

ぼくもふつうです。”ふつう”にうつになって”ふつう”に生活をするふつうのうつ病患者です。

 

 

この世界、なんか生き辛い?

だいじょうぶです。あなたが人である以上、なにがあってもふつうで、周りと違かろうがなんだろうが、なにがあっても全身全霊で自分を信じてだいじょうぶなのです。

 

 

まあきっとこんなこというと、「んじゃあ人に道を外れるってなんだよ」とかって言いだす人もいると思うけど、ぼくの結論としては「誰か他人を、どん底にまで傷つけて、平気なツラしてる野郎」にしておきます。ほかにもあるかもしれないけど一応、そこに対するぼくの答えはそれでした。

 

 

 

彼女が、「しんどいって口にしてしまったら、負けた気持ちになってしまう。相手の幸せを願わないと、自分がダメな奴な気になってしまう」というから、「そんなもん、しんどいとか叫んで、相手のこと死ぬほど呪った方が、楽にきまってんじゃん」と笑ったとき、彼女が呟いた「ああ、ほんとだ」の言葉をぼくは彼女の最高の日に、馬鹿笑いしながら言ってやろうと思います。いつか彼女が愛され、愛することのできる最高の男ができたときにでも。

 

 

 

 

 

 

 

おわり。

 

 

 

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