うつとしにたい

ひとはしんでも、いいらしい

うつと不安えびせん

 

どうもこんにちはお元気ですか、ぼくはげんきです。やまもとくんです。

今日のテーマは「うつと不安えびせん」です。

不安えびせんというのは今日わたしがかってに名付けた不安の名称です。

 

あのですね、実は……これナイショなんですけど……うつって、わりとよく健康マンたちからみると「エッ、お前なんでそんな、エッ?なんで?なんでそれ…なんでそれ不安におもうん??!?!?!」というようなことです~~~ぐ不安になります。ていうかむしろ健康マン以上にうつマンたちが一番思ってる。だが、健康マンたちにはこればっかりは許してほしい。いやほかにもけっこうあの、許してほしいことたくさんあるけど、とにかくこれに関してはほんと許してほしい。

 

ぼくたちうつマンも、不安になりたくて不安になっているわけではないのです。そう、我々は、この、不安えびせん食っちゃってるだけなのです。

 

 

うつになると、元気だったころでは考えられないようなことが起きます。

例えば、どうってことない、ごくごくふつうの、ペラ紙1枚の書類を書いて病院などに提出するとしましょう。きちんと話を聞けば10歳くらいのお子様でも理解できるような書類です。

 

しかし我々うつマンは状態が最悪だと、それをどういうふうに書いて、どうやってその提出したらいいのかが説明書を読んでも理解できず、「なんで??どうして??なんなの??どうしてわたしはこれが理解できないの??」と言ったふうに、頭が回らない自分自身にまず困惑し混乱します。

そしてその上、「どうしよう、わからないとこの書類が提出できない、この書類が提出できないことでいろんな人に迷惑がかかったり自分のこれから先の未来がどうしようもないものになるかもしれないんだ、、、どうしよう、、、どうしたらいいの……なんで…どうしよう……」混乱した挙句、考えても無意味な不安をあっちこっちから呼び寄せてきます。

 

普通に考えれば、病院の人に懇切丁寧に理解できるまできいて、なんだったら誰かに代わりに聞いておいてもらってまた説明してもらえばいいというだけの話なんですが、そんなことまで頭が回りません。自分で理解してぜんぶ自分でやんないといけないと思い込んでいるのもありますが、なにより頭の中にあるのは「わたしはいったいどうしたらいいんだろう。どうしよう。怖い。どうしよう。不安、不安、不安、不安」という、それだけだからです。ちなみに本日のやまもとくんの実話です。いやあ~~やまもと選手今日もなかなかイイ味出してたね本当に死にたい。

 

そしてこの不安状態は、自分ではどうしようもないくせに、ぜんぶ自分自身が呼び込んでくるものです。次から次へとやってきてはとまりません。不安が来たと思ったら不安がきて、落ち着くかと思いきやまた不安。そして不安。不安からの不安。不安to不安。不安の継投として不安。

 

自分でもびっくりするんだけど、本当にやめられないとまらないという言葉がぴったりなのです。だから、不安えびせんなのです。ちなみに亜種に「しにたいえびせん」もあるよ。ぜひとも全部殲滅したいね。

 

本当にこのえびせんのマジでヤバイところは、マジでやめられないとまらないなので、己がそのえびせんを食いだしたなと思ったら本家と違って自力で食うのをやめることはできないので、飲めるお薬があるならお薬を飲み、お薬を飲めないのならやり過ごすしかありません。うつ病、やり過ごさないといけないこと多すぎない?大丈夫?きみ、病気界隈で嫌われてたりしない?

 

ところで、なんでわざわざ不安を不安えびせんなんていってみたりしたのかというお話なんですが。結構まじめに、そうすることで、自分の中でなんとか突然やってくる意味もないただひたすらつらいだけの不安と折り合いをほんのすこしでもつけれたら、なんとなく戦えそうな気がしたからです。

 

「ああ、不安だ、不安だ、どうしよう、やばい、どうしよう、どうしたらいい、、、」なんて頭を抱え続けるのは、あまりにもくるしいじゃないですか。つらいじゃないですか。かなしくってどうにもなんないじゃないですか。うつなんて、毎日割に合わねえくそみてえな死にたい衝動とか、どうにもならない焦燥感とか、どこにも逃げられない罪悪感に追われるみたいな感じとか、しんどいじゃないですか。

 

だからほんのちょっと、「ああ、不安になってきた。どうしよう、えびせん、えびせん食いだしてしまった。えびせん…えびせんを食べる手が止まらない…どうしよう…不安えびせん…えびせん食べてる……えびせんだからきっとおなかいっぱいになる……どうしよう……不安えびせんたくさん食べたくないな……でもえびせんだしな……えびせんなんだからしかたないな……えびせんだもんな……おなかいっぱいになったらきっとだいじょうぶになるよな……えびせんだもんな……」っつって、なんかなんとなく思えたら、えびせんのせいにできたら、なんとなく少しだけ気が楽な気がしませんか?

 

我々うつマンは本当にしんどいときが地獄のようで、しんどくないとそこそこへいきなくせに、しんどくなるととたんに生きていられなくなります。でも、そんなときに少しでも気が楽になれるような「まほうのじゅもん」じゃないけど、そういう考え方だったり、そういう逃げ道があると楽だなって思います。

 

たとえ最高潮にヤバイ不安の波のときに思えなかったとしても、不安の波が去ったあと、「ああ最悪だ…最悪の気分になってしまった……」とか落ち込むよりも、ちょっとでも「まあ、不安えびせん食っちまったからしゃあねえよな」とか、なんか、ほんのり思えた方が少しだけ楽じゃありませんか?

 

少なくともわたしは今日「不安えびせん食っちまったししかたねえな。状態異常だしな」と、不安の波と、しにたいの波のあと、ちょっとだけ楽でした。普段だと最悪の気分を引きずって元気がなくなるんですけど、今日はちょっとだけマシだった。

 

だから、べつに、名前は不安えびせんじゃなくてもいいんです。あなただけの、ちょっとだけ気分を楽にするまほうのじゅもんを作ってみてもらえたらほんのりだけど、息苦しさや、つらさが和らぐんじゃないのかなあとおもいます。なんか、自分で考えるのすら面倒くさい人は、どんどん不安えびせんをまほうのじゅもんにしていこう。

 

カ●ビー、マジごめんな。

 

それでもやめられないとまらない不安のことを、少しでも受け入れられるように、やまもとの工夫のひとつとしてご紹介でした。本当に本当に試してみてほしい不安えびせん思想。あと、これはホントに蛇足ですが、かっぱえびせん食べたことありません。

 

カル●ー、本気でごめんな。

 

 

 

おわり。

 

 

 

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