うつとしにたい

ひとはしんでも、いいらしい

うつと夕のご飯

 

どうもこんばんは、やまもとくんだよ。

本日のテーマは「うつと夕のご飯」

まさかの食べ物シリーズ第4弾ではなく、ちゃんと今回はまじめな方のご飯の記事です。

 

どちらかというと、今回の記事は、やまもとくん自身がこれを書くことによって消化、昇華かな、どっちかわからないけど、とにかくどうにか楽になりたいという記事です。

夕ご飯そのものよりも、夕のご飯を共にする人との時間やそういう人々との関係性や、そういうお話になってくるかと思います。おひとり暮らしの方には少し退屈かもしれませんが、ぜひ、よろしければなにかの参考までに。

 

いやあねえいきなりなんでまたこんな記事を書き出したかというと、ことの発端はまさに今日(きっとこれを書きあげてupするころには昨日)の夕ご飯を食べながらふとしっくりきっかりくっきりわたしのなかにある感情が現れてしまったからなのですけれども。

 

わたしは現状実家住まいで、実家住まいのおかげで夕飯は両親とアニとの4人。仕事の都合もあるけれど大体4人。恵まれすぎていて感謝しかないのだけれど、お恥ずかしながら母の手料理を喰わせていただいている。まああんまりまともな一家ではないからある理由でお惣菜飯とかの場合も多いけどそれだって恵まれている。

 

そんなもんなんでも、今日、ああこれはしんどいと思うことがあった。こんな気持ちが思い当たりしっくりと納得できてしまった時点でこの記事について記載していいのだろうかというのも迷った。こんなにも恵まれておいてなに言うてんとかいう自分もいるしこればかりはいけないよ書いたら言うたら思うたらとかいう感じもある。

 

なので今回の記事はいつも以上にすごい手探りなんですが、自身で言うんだと決めたのなら書きます。書きますから許してあげたいし、許してもらえるような一瞬が許されるような言葉がほんとうにすこしでももらえたら幸いです。

 

 

 

今日、夕飯を食べていて、気づいたこと。

「ああわたしこの食卓でみんなでごはんすごいしんどい」

 

 

 

え?それだけ?と思う人も、なんでそんなこと思うの?と思う人も、まあ、いろんなことを思う人がいるかもしれないし、どうでもいいなと思う人もいるかもしれないんですけど、これってわたしからしたら超重要課題で。

 

うつの超初期、まだ病院にもいけていないときから薬を飲み始めしばらくするまで、ぼくは一切ご飯が食べれなかった。食べれなかったというと語弊があるけど、おなかがすいても食欲なんてかけらもなく、かけらもないからご飯なんて食べたくなくて、ずっと食べない日が続いた。

実際本当に体が重く、寝返りをうつのすらしんどいような状態で、2階にある自分の部屋からリビングのある1階に下りてゆくという体力気力があんまりにもなさすぎるような状態だったのも一因なのかもしれないけれど、とにかく食えず動けず、薬を処方されるようになってようやく、ご飯できたよと呼ばれ、数時間後にとにかくコンディションがよく無理がないタイミングでリビングに降りてゆき、置かれたおかずだけを一口二口だけ食べて薬を飲むという生活ができるようになった。

 

うちの両親はごくごく変わった人類であると同時に普通の”昔の人”なので、体が動かず、部屋から出られず、ご飯も食べたくない、いらない、放っておいてほしいというときにでも、「ごはんを食べないと元気がでない」と執拗にごはんを食べさせようとしてきたのだけれど、ごはんはそう食べなくても死なないから安心してほしい。食べたくないときに食べさせられるご飯の方がしんどいだろうとい考えはたぶん両親にはなかった。心配からくる言葉であることは知っているしアニがものすごく気遣ってくれていてそのころは別段なんともなかったのだけれど、今思うと”昔の人”のご飯食べたら元気でる信仰はいったいなんなんだろうね。実際たぶん、空腹は人の元気を奪うけど、喰う元気すらないときに無理やりにする食事に価値があるのかはいまだにぼくはよくわからないし答えが見つからない。

 

そんなような状態が長く続いて、薬が効きだしたのか、ひどいうつ状態からは脱し食欲も戻ってきて、まあもちろん治ってないので今現状も希死念慮(死にたいとねがうこと)の発作もあれば、体が重く動かなくなるわかりやすい症状が出たりするのだけど、誰かとなら外にも出れるようになってきたしご飯もお菓子も食べれている。ご飯だよと呼ばれれば前までは数時間かけないと降りれなかったのがすぐに降りて普通に食べれるようになったし、なんてことないような感覚だった。

 

ふつうにやれるようになってきたんだなあといううれしさすらあった。

 

でもそうなってからずっといつもリビングにいくと変に気分が落ち込んだようなもやがかかったような嫌な気持ちになっていた。なんてことない会話ができてくだらないバラエティを見ながら話しをする両親とわたしの好きなものメインに並ぶ食卓。

 

ちゃんとご飯を食べに降りれるようになってきた最初のころはそうでなかったような気がするんだけど違うかもしれない。もう覚えてないけど、とにかく、居間にいきご飯もしょもしょ喰い続けているだけだというのに些細なことでイライラし、落ち着かなくてそわそわしてどうも居心地が悪い。

 

昼はそんなことはないのだ。やまもと一家は昼食がいろんな関係で遅くて、14時すぎあたりの、やまもと自身が調子のよい時間帯だからなのだと思う。けれど夜はだめなのだ。滓がずんずんたまってきてしまっていたのかもしれない。今日、ああわたしいますげえ無理してるんだという思念が降ってきた。

 

だから今日この記事を書く前、ご飯を食べてすぐ誰とも話さず、薬だけ飲んで自室に戻り、ほんとうはいろいろやりたいことがあってやっていたのでその続きの作業をやろうとしていたのだけど、なにもできないほどにしんどい嫌なあの気持ちとしにたい念慮に苛まれて、とにかく寝た。

 

寝た、ということはたぶん、めちゃくちゃにエネルギーを使ったからなのだろうと思う。

わたしの場合だけかもしれないけど、発作をやりすごしたり、外出をしたりしてエネルギーを利用すると、薬エネルギーで足りない自力発電エネルギー分を補填するためにめちゃくちゃ眠くなる。

 

だから寝たということは、そういうことなんだろうとわたしは解釈した。だって気づいてしまったじぶんの悲鳴があまりにもさみしいしかなしいし申し訳ない叫びだった。

 

「家族と居間で並んでごはんたべるのがしんどい」

 

気づかせないでくれよと思った。

 

そのくせそいつを認めて納得した瞬間にぼくは楽になってしまった。ああしんどかったんだわたし、しんどかった、しんどかったんだよなあ無理しているつもりもなくがんばっていたんだなあと思いそれでもとにかくへこんだ。

ただでさえうつになって迷惑をかけているのに、それなのにへたくそながら気を使って、やさしく手助けしてくれている家族と夕飯を食べるということがとにかくつらくてしんどい。つらくてしんどいと思ってしまえばさらにそれでしんどい。つらい。それでも気づいたのならもうそうはできない。

 

割合、そんなに大したおおごとじゃないつもりでうつとうつになって理解したことという記事で書いたお医者の「無理してない?」という言葉がいまさらになって重く飛んできた。

実はあの日の「リビングとか自分の部屋以外の場所にいるとイライラしたりそわそわしたりします」というのは、この夕飯のときのことを指していた。だから、図星だった。でも、わたしは無意識に「自分の部屋以外にいるとき」のことにだけ目をむけて、夕飯のときはなんてことないと思い込んでいた。

 

でもだめだった。嘘のようだが気づいてしまって恐ろしい気持ちがうろうろと心臓の周りをめぐっている。家族団らん無理してない?という問いに対するすべてのわたしからの答えが全部イエスなんだ。

 

わたしはどうしたらいいんだろうというのが率直な感想だ。いまこれ書きながら答えが全く出ていない。夕飯要らないといったらお母さんはまたすごく悩むだろう。そういう人だ。昔から心配性で偏執狂、母こそ精神病人だが病院嫌いだから認めたがらない。そういう人だ。すごく悩むだろうし、そうした母の相手をするアニもまためんどうごとに晒される。

 

なんでわたしは家族との団らんがしんどいのだろうか?と、考えてみた。

もし、わたしとおなじように、だれかとの食事が本当はしんどいと気づいた人がいたなら考えてみてほしい。

わたしは考えてみて、関係性なのかもしれないと思った。特に母とのである。

 

母は上記のとおり変な人で、わたしなんかよりよっぽどうつだ。ネガティブで破滅的で世捨て人的に世間一般からは逸脱している。芸術家肌で自由な仙人であり頑固者。どうにもならない偏執狂。

なんとなく夕飯の席で、いつもわたしへの扱いに困っているのがよくわかる。もしかしたら困っていないかもしれないけれど、わたしがそう感じ取っていて、だから正直いつも母へとどう会話し、どういうふうに身を守ればいいのかということを常に考えている。

 

母にはそのつもりがなくとも、相手を叱責するような言葉を使いがちな人なのだ。

まだうつという診断がなされていなかったとき、無理やり外食に連れ出された。どうしてもうごけなかったが、でもそのときのわたしは人でありたいと思っていて(よく考えればうつだろうと人間である)外に出ればまだわたしはまともなのだとおもえると思い、体を引きずりスシローに行った。

 

スシロー。回転ずし。おいしいよね。たぶんこれなら好きな分量だけ食べれるし、早く食べてすぐ帰れるという配慮の上での選択だったんだと思う。

それでもわたしは何も食べれずそれどころかもうその場に座っていること自体がどうにもならず耐えられず、情けなくも小さな声で「何もいらないから車戻りたい…」と言うほかなかった。

でも母は「食べないと元気がでない」といい、そしてあろうことか、「お前がそんなふうに暗いと、みんなにまで伝染するだろ」と、言った。まったくもう、と、言いたげなため息すら覚えている。

 

母としては多分きっと、元気出しなよくらいの気持ちだったんだろうけど、そのときは本当にうつのピーク時でどうにもならないときだったので、わたしはなにかが切れたように自分でも驚くくらいに爆発してしまい、「そんなこと言われたって、自分でだってどうしたらいいのかわからないのにそれじゃあどうすればいいんだよ!そんなん言われてさあ!!!それじゃあそんなのし、し、死ねばいいのかよぉ………」と14時半くらいの人のまばらなスシローの店内で泣き叫んだ記憶がある。しかもこの叫んだ内容はわりあい一言一句変わらず多分こんなだった。スシローの店員さん、後ろのボックス席で飯食ってたリーマンの二人組、いまさらながらすまんかったHAHAHA。

 

というわけでそういうエピソードがあったりとにかく元気がないときに飯を食わされそうになったりとおそらくなのだけれどあの食卓でつらいのは母との関係なのではないかと思ってきた。書きながら分析。まとめとけって話なんだけどごめんな。付き合ってくれてありがとう。読んでくれてありがとう好き。

 

でもだからといってそれがわかったからってそれからどうしていいのかなんていうのがまだわからないから怖いのだ。お医者がのんびりといっても、そんなの、わたしののんびりの辞書に家族との食事を拒絶するという項目は入ってない。無理しないでやってよとかいわれても無理しないでやる方法がわかっていたらぼくは多分今頃成績トップの営業販売マンになっている。

 

ということで残念ながらこの記事にオチというのがない。

この記事で言いたいことはおそらく懺悔だったんだと思うし、同じ気持ちになっている人を探し出そうとしているだけの身勝手な記事であると思う。であるので、もしかしたら同じ経験同じ感覚を持っている人がいたら、ちょっと、いい具合の解決策を教えてください。もしくは一緒に解決策を考えましょう。

 

うつじゃないひとというか、うつのじぶんでもおもうんだけど、「別にいっしょにご飯を食べなきゃいいだけ」という結論がでているではないか、というところに関して、「それを拒否する罪悪感」についてのほうが問題だ。こいつだけは倒し切れない気がしているのでどこかに”ゆうしゃのけん”が落ちていないか探しまくるしかない。もしくは、教えてくれ。誰か。

 

そして、最初にも書いたが、教えてくれなくてもいいから、そういう気持ちを抱いてしまったことを、許してもらえたらうれしい。そして、この記事を後々読んだやまもと本人が自分のことを許してやれやしばくぞと思っている。正直今は無理。

 

いやあマジでどうしよう。いい方法があったら、ご一報ください。何回でもいうけど、ご一報ください。本当にごめんなさい。

 

 

 

 

今日のところはとりあえず、おわり。

よくなったらまたご報告します。

 

 

 

 

 

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