うつと「しにたいマンさん」
どうもこんにちは、やまもとくんです。
今回のテーマは「うつと「しにたいマンさん」」です。
~「しにたいマン」とは?~
Twitterで「しにたい」を主としたツイートを粛々とふぁぼしておられる「しにたいマン(@shini_tai_man)」さんのことです。言ってしまえば、それ以上でもそれ以外でもないアカウントなのですが、ぼくはぜひこのしにたいマンさんのことを皆様にご紹介したく今回筆を執った次第でございます。
まず、しにたいマンさんは、「しにたい」というツイートを粛々とふぁぼるとはいえ、いわゆる自動でツイートをしたりツイートを拾ってきたりする「bot」と呼ばれる機械ではありません。れっきとした人間です。
ご自身もTwitterで
あと、誤解が多いのはしかたないですが、このアカウントはbotじゃないです。
— しにたいマン (@shini_tai_man) 2017年11月5日
確かに「しにたい」という単語をふぁぼしていますが、アカウントのふぁぼ数28万はすべて手動でやっています。
気が向いたときにぽちぽちやってるだけなので、時間帯もふぁぼする数も自分の好みなのでてきとうです。
と、おっしゃっておられるように、ちゃんと生きて、意志と感情を持った人間です。
いいねの数は、なんと28万と5000を超えており、そのすべてにわたしも目を通したわけではありませんが、ほぼすべてが「しにたい」についてのつぶやき、そのほかは、しにたいマンさん自身についてほかの皆さんが案じたようなツイートがほとんどですです。
なぜ今回しにたいマンさんをブログでご紹介しようかと思ったかといえば、純粋に、しにたいマンさんの存在に救われた、というただその1点だけです。逆にいえばマジでそれしかないので、「しにたいマンさん、しんどいときに救ってくれてマジでありがとう」としかいえないので、その瞬間にこの記事が終わります。
それでは紹介にならないし、なんで救われたんかもわかんないし、大体これではせっかくご本人から許可をいただいて紹介させていただく人間が書く紹介文としては100点満点中5点がいいところです。
しにたいマンさんは、最初にも申し上げた通り、マジでわりとTwitter中に落ちている「しにたい」をぴょこぴょこと拾い上げています。Twitterを始められたのは確認できうる限り、2012年の11月。そこから今までいろんな「しにたい」を拾い上げてます。ただ黙々と。
もはやなにかの執念じみたものを感じますが、Twitterのつぶやきを拝見していると、ごく普通に我々と同じほんとその名のとおり「しにたいマン」なんだろうなあとぼくは思いました。実際、「しにたいという気持ちを抱えている」という旨のツイートを最近でちょろっとだけしています。
ただ、しにたいマンさん、我々うつマンのような死にたみを匂わせはするんですが、ほんと淡々といろんな人のしにたいをふぁぼっているだけです。しかも、「死にたい」ではなくひらがなの「しにたい」、多くの言葉を語らず、どちらかといえば一言だけ「しにたい」とつぶやかれたようなツイート。
しにたいマンさん曰く
しにたいマンの勝手な好みですが、シンプルなしにたいというつぶやきの方をよくふぁぼします。
— しにたいマン (@shini_tai_man) 2015年8月12日
憂鬱に長い御託はいらないのです。
らしいのですが、かっこよすぎかよ…………。
さらにいうと、我々うつマンがガチで死のうとするときにでる魂のスクリーム系「しにたい」だけでなく、学生さんなどがテスト前などで面倒くさすぎたり同人野郎どもが締め切り前になってもうなにもかもやべえしなにもかもがどうにもならねえやばさでいう系の「しにたい」も、等しくふぁぼ。しにたさのガチさに貴賤なし。
まあぶっちゃけ本気の本気の失礼を承知で言うと、マジでこの人意味わかんない。
ただ、しにたいマンさんが、本当に「ひとのしにたい」について「本当に考えて」生きているひとなのだということは、わかります。
例えば
twitterには人それぞれいろんな理由でしにたいと思う人がたくさんいるのに、その人達にかける言葉は、どれだけ探しても見つからない。
— しにたいマン (@shini_tai_man) 2013年12月1日
だからしにたいマンはしにたいをふぁぼするよ。それに意味がなくても、気持ちが伝わらなくても。
とか
いきてて楽しい人にはしにたい人の気持ちなんてわからないだろうし、しにたい人にいきることの楽しさを伝えようとしても無理なのは仕方ないです。
— しにたいマン (@shini_tai_man) 2017年3月25日
けれど、わかりあえなくても、折り合いはつけられると思います。
いきること、しにたいこと、どちらかを否定する事そのものが多分、間違いです。
とか。
本当はもっとたくさんご紹介したいツイートがあるのですが、「ひとのしにたい」について本気で考えていて、そして本当の意味で「それ以上でもそれ以下でもない」方は、しにたいマンさん以上にあまりいないのではないでしょうか。
しにたいマンさんは、「しにたいとつぶやいた人の生き死にについてはあまり興味がない」という旨のツイートをしていらっしゃいます。なぜならそれは、「人の生き死には、その人自身に選択の自由があるから」だそうです。そしてそれに関するツイートもたくさんしていらっしゃいます。
話はかわりますが、だいたい、人様に「しにたい」というと、3種類くらいの返答が返ってきます。
ひとつは「死んだら、これから先の楽しいことも楽しめなくなっちゃうんだよ」系。
ひとつは「死んだら、親とか兄弟とか、友達とか悲しむよ」系。
ひとつは「死んだら、いろんな人に迷惑がかかるよ」系。
まあ、だいたい、この記事読んでくれてる方の大半は、「しにたい」と言ったとき、こういうようなことを言われた記憶があるのではないでしょうか。あとは、「大丈夫だよ、生きていればいいことあるよ」とか「元気出しなよ、気の持ちようだって」とか。そういうふうに言われなかった方は、わりあいラッキーです。
実はこれ、ぜんぶ、全否定してるんですよね。「しにたい」を。
生きなくちゃだめだよという価値観でぶんなぐって殺している。
このブログやTwitterで幾度となく、ぼくは「しにたくていいじゃん」という話をしました。それはこのしにたいマンさんのTwitterを読んだからという部分も大きいかもしれません。もちろん自分が本当にうつになり、しにたいという気持ちに苛まれるようになって気づいたこともありますが、でも、たぶん、しにたいマンさんが、たまたまふとわたしのつぶやいた「しにたい」をふぁぼらなければ、こんなふうにブログを書き続けるということもなかったのではないかと思います。
そんだけ、「しにたくてもよいのか」という衝撃は大きかった。
しにたいマンさんのTwitterを開くと、いちばん最初に、固定されているツイートがあります。
そうだね、しにたいね。
— しにたいマン (@shini_tai_man) 2015年10月4日
……うん、しにたい。
そんでもって、しにたいぼくらが、それをゆるされているということに、「しにたいマン」という存在を通して、気づけたらいいなと思うのです。
しにたいマンさんに、ブログでご紹介してもよいですか?とリプライを送った際、「そんな大したことを言っているつもりはないんですけど」という旨のことをおっしゃっていました。ご本人はそんなつもりがないとしても、少なくともひとりの人間の「しにたい」の気持ちを許し、そして、「しにたいの気持ちを許すことを許す」ということで救ったことは、大したことです。
しにたいマンさんについて調べてみてたら、「しにたいマン自身は別にどうでもいいけど、しにたいマンを異様に賛美している人間が気持ち悪い」という結構それな~~~↑↑というつぶやきを散見したんですが、賛美しているわたしからしたら、「しにたくてもよい」というのはつまり「あなたの人生なんですよ」という許しを得たようなもんなので、まあかんたんにいえば黙って賛美させろやオラァ!!!!!かかってこいよオラァ!!!!という気持ちなのです。
とはいいつつ、賛美というと仰々しいし、逆にそこまで行ってしまうとすこし失礼な気もするので、もう少しマイルドに言えば、「ありがとう」と伝えさせてほしいのです。
わたしなんか、ふぁぼられたとき最初「あんだこのbotぶちのめしたいなんだこのやろう」とおもったくせに、ツイートをみて「そうだね、しにたいね」といわれたとき、そしてしにたいマンさんのツイートをみたとき、「わたしの人生の自由」と「しにたいことはゆるされているのだ」という衝撃で、ぜったいにこの人すげ~好き、と思いました。そしたらやっぱりすげ~~~~~好きでした。しにたいマンさん、本当にありがとう。好きです。いつまでも、「しにたい」を愛し続けてほしいなと思います。
そんで、なんかTwitter世界にいる、なんかすげ~死にたいけど、しにたいとかいうと、生きなきゃだめだよとかいわれて、超息苦しくて生き苦しい人たち、なんかしんないけど、しにたいマンもこういってるわけですし、わたしもそうおもうんだけど、ぜんぜんしにたくていいとおもうよ。そんでもって、しにたいっておもいながらも、いきていきたいってもがいてもいいとおもうよ。
最後に、しにたいマンさんのひとつのツイートを引用させていただき、〆とさせていただきたいと思います。
しにたいマンのいいねに対しては、無視するか、これくらいの適当な対応をおすすめします
— しにたいマン (@shini_tai_man) 2017年1月5日
もうほんと、いとおしさしかねえよ!ありがとうございました!!!