うつとしにたい

ひとはしんでも、いいらしい

うつとむなしい

 

どうもこんにちはやまもとくんです。

なんかもう最近書くことがあんまりないので最近思っていることを書いてみることにしました。

今回のテーマは「うつとむなしい」

 

むなしいんですよ最近。なにやってても。

薬が強くなって気分の落ち込みがより少なくなったにもかかわらず過去に覚えていたむなしさが晴れてくれない。

これをどう解消をしたらいいのかということで、むなしいなとおもっているうつマンたちに聞いてみたいんですけど、どう解消してます?

むなしいのは苦しいなと最近思うわけです。死にたいなどと思わなくなったとしても、むなしいは死を招くのです。

生きていたいなと思うけれども生きている価値がないなとも思うわけです。

表現は評価をされません。

誰かと話しがしたいなと思います。

さみしいのかもしれません。

うつはさみしさをまねきます。

まねいたさみしさをどこで殺せばいいのかわたしにはてんでわからないので、そのへんにあるものをぶんなぐって壊すくらいしかできないのです。

にげたい。この状況からにげたい。だめであることを毎日毎日毎日毎日見つめる日々を生きているとはいえるでしょうか。

生きている価値とはいったいなんなんでしょうか。

全員死んでしまえば一律同じです。

一律同じになれることを期待して生きています。

一律同じになれることでどうにかなりそうなわけのわからない混乱がどうにかなるのなら早めにみんな死んでほしいです。そしたらわたしもどうにか死にます。

死にたい。