うつとしにたい

ひとはしんでも、いいらしい

うつと「それでも それでも それでも」という素晴らしい本について

 

ごきげんいかがですか?どうもこんにちは、ぼくやまもとくんです。

今回の記事は「うつと「それでも それでも それでも」という素晴らしい本について」

著者は斎藤陽道(@saitoharumichi)さんという写真家さん。公式のHPはこちらです。

 

大変申し訳ないながら、ぼくがこの「それでもそれでもそれでも」という本を知ったのは本当に偶然。なので、斎藤さんのお名前もこの日初めて知りました。著書は今回ご紹介する本以外にも、いくつかあるようなので、後程ぼくも手にしたいと思います。とくに、「写訳 修羅と春」なんて最高そうだ。いまからたのしみです。

 

今回ぼくがおすすめしたいこの本は、「週刊金曜日」という冊子に連載されていたものから抜粋されたいくつかの写真とそしてことばがまとめられている、帯に書かれているとおりの、「言葉と写真の本」です。

斎藤さんをご存知の方なのであればふしぎではないのかもしれないのだけれど、知らない方がみたら「写真家なのに、言葉?しかも、”言葉”と”写真”とか、写真があとにきちゃってんじゃん」と思われるのかもしれません。

ですがこの本は確かに言葉と写真の本であり、写真と言葉の本じゃないのです。いや、これはぼくの私感なのでご本人さまとか、万が一このご本に携わった方が、そうじゃねえよと思われたら申し訳ないんですけど。。。ことばがあってこそ写真がある、と、感じます。写真から湧き出た言葉と斎藤さんが本の中で書いていたけれど、だからこそ、ことばがあってこその写真なのだと。

 

だからぼくはこの語順についてこれがすごくただしいとおもっていて、なんか、そんなべつに、帯のキャッチ考えたひともんなこたあかんがえてつけてねえかもしれませんが、ぼくは言葉と写真の本だなあと思うのです。なんか声にだしたときのきもちのよさもあるし。

 

というわけでそれがどういう意味なのか、ぼくがなにを言わんとしているのかはこの本を手に取っていたただきなんとなくつかんでいただくとして。

 

この本のよさって、どこのページもだれかのためのものだというところだとおもうのです。

お人柄なのか、なんなのか。お写真がどれをとってもきれいで、おどろくほどやさしい。そして深々としている。そして、写真から湧き出し書かれた、斎藤さんのおもいが詰まった400字のやわらかな触り心地。

 

帯に書かれているお言葉を引用致します。

「ただ見るだけのことの貧しさをぼくはよく知っている。だからこそ、ぼくは写真をやるうえで言葉すくなき者の、忘れ去る日常の断片の、その奥を見ようとしなければならなかった。」

 

まさに、そのお言葉の思惑どおりの世界を斎藤さんは見つめていらっしゃることがよくわかるのです。そして撮られた写真から湧き上がる言葉は、ただうわべをなぞるみたままのものよりも深々とあたたかく、誰の言うことばよりやさしいから、愕然として思わず何度も読み返してしまう。そしてそれは、ただ見るだけの貧しさに慣れてしまった我々のためのものなのだと。

 

斎藤さん自身の「それでもそれでもそれでも」という積み重ねと、飽くなき日々へのいとおしさ。

 

写真がなく、斎藤さんの言葉だけのページなどもあります。

本当はそういうのも含めてぜんぶあれやこれやとここがいいあれがいいと引用してお話したいんですけれど、まだこのご本にふれたことがない方がそれを先に見てしまうというもったいなさがどうしてもゆるせないので、なんにもいいません。

 

ぼくはこの本を読みながら、はじめて「本て、順繰り1ページめから読まんでもだいじょうぶなんだな」と知ることができました。おそらく小説とかでは成り立たない話なんですが、ぼくはどんなどこのページから読んだってゆるされる歌集とかなんかそういうのも順繰り1ページめから読まないことは罪だと思っていました。けれど、そんなくくりは、このすてきな本を読む際には捨ててください。

 

あなたにひつようなやさしいものが、すこしほんのりさみしいきもちが、あなたが望んで開いたページのことばや写真にかくれて、ひっそり、あなたをまっています。このご本はそういう本なのだとおもいます。大々的に待っていないのはきっと、斎藤さんが切り取り、かたちにした写真や言葉が、あなたの目に映るものたちのさらに奥にいるものだからなのでしょう。

 

ぼくはうつになってからというもの、あまりインプットすることができませんでした。なにか文字をあたまにいれるのがしんどいときが多くて、外にでるのも億劫で、だけれど今日、なにかとてもものすごいちからで、言葉に出会いたいと願い、人と会話するのも目を合わせるのもできない力尽きる寸前で、偶然たまたま、このご本に出会いました。

ぼくは最近割合ロマンチストなのでこいつもまた運命だと思うようにしています。この本はあなたを傷つけないどころか、あなたのどこかのかなしいところを日々のなかから「だいじょうぶだよ」といってくれます。

 

親子

真ッ最中

たまご

檻の中の彼の見る先

ホンモノ

明かり

さくら咲く雨の日の散歩のお土産

 

ぼくはこのあたりの写真とことばが最高におすすめです。

 

たまごにおける写真とそこからの発想の感覚や、さくら咲く~のにじみ出るひだまりのぬくさ。

檻の中の彼の見る先からは、心臓の奥からさみしさが顔を出してくる。

明かりは、ビルに関する表現がすごくすきで、わたしはああいうぎらついた写真のああいうぎらつきこそがだいすきなので、ああ斎藤さんという方はこれをこう思うのか、と、違う思想を知ることができた。

真ッ最中に至っては、なんかもう、すきとしかいえない。

親子は、ほほえんでください。つーかそれしかでない。

 

あとそれと、「おののくこと」や「遊ぼう」もすげえすきなんですけど、これのなにがどうとかはもうとにかく読んでほしいし読んでくださいとしか言えないので読んでください。「吠え」とかも好き。というか紹介したくて読み返せば読み返すほどあれもこれも全部好きだからもうどうにもならない。とにかく読んでくれ。頼む。全人類読んでくれ。

 

すべてのことばとしゃしんに、愛と、やわらかな視点があり、そして斎藤さんが生きてきた背景が存在する。だからこその愛と「それでもそれでもそれでも」なんだろうな。そういうふうに、あとがきを読んでつよく思いました。書きおろしのあとがきもそれはそれは最高のことばで埋め尽くされているので、ぜひ最後まで読みつくしてください。

 

1ページ目から順繰りでも、好きなとこからぱっとでも、この斎藤さんのやさしい本は受け止めて、そして我々のようなものたちのどうにもならない部分をやわらかな膜でやさしくあたためてくれるでしょう。

 

 

きょうはこの本に出会ったおかげで、よく、眠れそうな気がします。

 

 

 

 

あ、最後にいっこだけ。これは気になる人だけ読んでください。言わないほうが感動があるかなともおもうんですけど、気づかないひとがいるのはぜったいもったいないからこれだけは言っちゃっておきます。

 

 

かかっているカバーをとって、裏表紙。うつくしいものがあるよ。

 

 

 

 

ああ、ほんとうに最高だった。また読もう。そんでもって読み続けよう。ありがとうございました。