うつとしにたい

ひとはしんでも、いいらしい

うつと「生きる」

 

はいどうもどうもこんにちはやまもとくんだよ世間はすっかり春ですねハローハロー元気かい。

 

今日は「うつと「生きる」」をテーマに、あんまりまとまってない話をするよ!いやまとまってないんかい。

 

ここ最近のやまもとくんはとりあえず生きているというていでそれなりに人間です。年末年始に揉めた姉ともどうにか関係がうまくやれているようなくらい人間です。でもあの頃のことは思い出したくない。文学フリマとかにも出ました。本買ってくれ。

 

やっとこさ生かされています。

 

というわけで今回のテーマはどうしたことかというと、頂いた一通のDMからいろいろ考えたことのわたしなりの人生の話です。DM下さった方ありがとうございました。いろいろ考えるきっかけを頂きました。

 

なんですって?「え~~?人生の話とかマジうっさい~どうでもいいし~年寄りみた~い」ですって?うるせえな人間いろいろあると人生の話とかを語りたくなるんだよほっとけ!!!!!!!!!

 

まあ気楽に読んでくれって感じです。生きている人も死にたい人も。

 

でままず最初に一発目の宣言をしておこう。

わたしは自殺否定派です。

 

首つったり飛び降りようとしたり暴れたりしてるのに!!!!!!!!!!!?????????

 

いやおまえすべての自殺未遂者が自殺肯定派だと思うなよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!死ぬのめっちゃこええんだからなおまえふざけんなよ!!!!!!!!!!!!!!横っ面ぶん殴って目を覚まさせるぞ!!!!!!!!!!!!!!!!

 

んで、ここで勘違いしないでほしいことがあるんですけど。

このブログは「うつとしにたい」というタイトルで、サブタイトルは「ひとはしんでもいいらしい」です。

そう、死んでもいいんです。別に止めません。

 

構ってちゃんなメンヘラちゃんのような人たちに構っていられるほどわたしは別に暇ではありませんし、その選択を止める権利もありませんし、人はいつか死にますし、大体わたしは綺麗事のように「生きてればいいことがあるから」とか「死んだら誰かが悲しむ」とか言いたくないんです。

 

ただ実際、生きていればどうにかなることの方がほとんどです。自分が死んでも誰も悲しまないと思うかもしれませんが、絶対に誰か一人は悲しみます。ですがわたしはどうにかなるであろう人生を捨て、誰かを悲しませ、そして自分をそこまで追い込んだ人間や現象に対して何の反抗もなく死ぬことが許容できるのであれば止めません。

 

ただし、「お金がない」「友達がいない」「家族がいない」「仕事がつらい」…いろんな出来事の上で、「死ぬことしか救われる手段がない」と思っているのであれば、やめとけと言います。

 

死にたいほどしんどくてどうにもならないときってそれしか救われる方法がないのが痛いほどわかるうえでいいます。やめとけ。

死にたいを抱えて生きることがどれほどの苦痛で、どれほどのしんどさで、どうにもならなさで、生きることさえままならないような状況か。鬱でない人間には100%理解できないでしょう。鬱であるわたしにもあなたの苦痛は20%くらいしか理解できないでしょう。

 

でもな、死にたいと思っててもいいけど、自分の命以外に捨てられるものを考えて数えてみてほしいんです。

 

お金=借金でもすりゃどうにかなる・精神疾患の人を助ける制度だってたくさんある

人間関係=すっきりするまで全部捨てよう

学校・会社=壊れるくらいなら辞めても学校はつぶれないし会社だってつぶれない。

 

電通の一件を見て下さい。つぶれましたか?何か変わりましたか?

命以外をなげうつことで得られるものはたくさんあっても、あなたの命をなげうって得られるものはごくわずかです。

 

それでもいいなら止めません。止める権利がないからです。生きろとは思いません。死ぬことが救いになることも大いに理解できるからです。わたしは運よく周りに恵まれて生かされてきたからこそこういう風に言えます。そうじゃなければ死んでいたでしょう。でも、今振り返ってみて、死ななくてよかったと本気で思います。誰かに生かされているから思うのではなく、もしあのとき死んでいたら、何も遺らなかっただろうということが今理解できているからです。

 

うつ全盛期のころはただ死にたいと思う事しかできませんでした。そして、それがすべてを丸く解決するすべだと思っていました。でも、そんなことはありませんでした。現実というのは死んで丸く収まるほど簡単じゃないし、乱雑でもないからな。

 

でも、だからかしらないけれど、「死にたい」という気持ちを抱えて生きる人に対して思っている以上にやさしくできています。世の中は思った以上にバランスが取れているんです。

 

因みに、これはわりといろんな人から聞く話。そして自分の体験からの話ですが。

本気で死のうと決意した人間は恐怖を覚えません。ただし本気で死を目の前にした瞬間に死の恐怖が沸き上がります。首をつって意識が薄れ始めた瞬間とかね。

そこから引き返せないで後悔するくらいなら死ぬのはやめておきましょう。まあ死んじゃったら後悔するもクソもないんだけどねAHAHA。いや笑いごとじゃねえわ。

 

「生きる」ということはしんどいことの連続です。特にうつ病マンたちはいろんな問題を抱えています。病気自体もそうだし、病気になった原因もそうだし、病気だからと過敏になってしまうこともそうだし、薬の副作用もそうだし、しんどいことしかありません。我々に生きていく価値は見いだせない言っても過言ではありません。

 

じゃあなんでわたしは生きているんだろう。

 

ただ、怖いからです。生きることよりも死ぬことの方が怖い。誰かを悲しませることの方が怖い。自分自身を投げ捨てても得られるものがないことがわかっていることが怖い。

 

将来のことを考えると死にたくなります。お金のことや今の自分を見つめると生きていたくないと思います。でも当たり前です。なんでって「死にたい」という気持ちはもはやうつ病マンたちの鉄板持ちネタだからです。

だからどんどん死にたくなりましょう。それを吐露しましょう。叫びましょう。持ちネタを披露しないでなにをするんですか。ガンガンに披露していきましょう。

 

何度でも言います。「死にたい」と思うことは罪ではありません。「死ぬことが本当に救い」なのだと本当に確信が持てるなら止めません。

 

でも、わたしは、死ぬことが本当の救いだなんてことは一切思えなくなったので生きています。

 

生きていくにはお金が必要です。借金を苦にして自殺する人もいます。頼れる人もおらず自殺してしまう子供や大人は後を絶ちません。孤独と貧困は人を死に向かわせます。でも、それでも、わたしは生きていてほしいと思います。なんでって、それはただのわたしのエゴです。だって、自殺して何も残らないなんて寂しいだろ。傷跡くらい残したいだろ。

 

因みに正直なところ、わたしは他人の生死に興味はありません。

死にたいなら死ねばいいし、死ぬしか救いがないと思うならその選択肢を取ればいい。けれど、生きてくれと無責任に願うのは、死にたいと願う人たちにこうしてブログを通じて声を届けようと思うのは、「お前が死にたいと言っているうちは俺が生きて同じように死にたい気持ちを分かち合えるから頼むから生きていてくれ、死なれたら何もできないから生きていてくれ」という、エゴでしかないんです。

 

うつでも死ぬことはないんだよ。あなたが生きているということがインターネットを通じてわたしの力になってくれているということを噛みしめて人生を生きてもらえると助かります。

 

このブログ読んでる奴みんなわたしの生命の養分だからな!!!!!!!!!!!

 

なお、わたしのことも養分としてほしいからブログをやっています。

絶対に治る病気です。人生はあなたが思っている以上に死ぬほど逃げ道があります。断崖絶壁にいるように見えるのは病気のせいです。ただ、病気のせいだからで片付けられないのが「死にたい」という強い気持ちと憂鬱です。それが少しでも和らいでくれるのならわたしはブログを続けていける気がします。

 

わたしを生かしてください。

そしたらわたしも一生懸命、みんなが「死にたくても生きてていいんだ」と思ってくれるように「死にたい」って叫び続けるから。病気が治ったら、治ったらこんなにいいこともやなこともあるんだって伝えていくから。

 

死ぬなとは言いません。生きろとは言いません。それでも、生きていてほしいと思いながら、わたしは生きていこうと思います。重たい「しにたい」を抱えながら。

 

 

以上、なんかタイトルとちょっとずれちゃったけど、まあ大体いつもそんな感じだから許してくれよな!みんなも頑張らずに適当にゆっくり息をするだけでいいから生きていこうぜ。じゃあな!

 

 

 

 

おわり。

 

 

 

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前回記事のコメントのお返事

 

いぬさん

うつはだれでもなるという点ではインフルよりも下手したらかかりやすいものです。少しでも兆候が出たら気兼ねなく病院に行くのがいちばんです。兆候がないのがなによりすばらしいことなので、げんきをぜひ分けていただければ嬉しく思います。

 

よく考える人さん

気持ちが痛いほどわかるのであれば、少しでももしかしたら鬱かも、と思っていらっしゃるのであればどうか、是非、病院へ。もし近場にあるのであれば、何軒か回って1番ご自身のお話を聞いてくれるお医者様へ。パブロンと一緒で早めの治療が肝心です。完全に壊れるよりも治りは早いです。

なにより、何軒か回って「鬱じゃないよ」と言われれば、それはそれで安心になりえるかと存じます。体の壊れよりも心の壊れの方が治りは遅いです。ご自愛ください。