うつとしにたい

ひとはしんでも、いいらしい

うつとうつの人間の魂を焦がした「菅原小春」という存在について

 

どうもお元気ですか、やまもとくんです。

今回は「うつとうつの人間の魂を焦がした「菅原小春」という存在について」です。

 

うつに関係があるかどうかはおいておいて、ぼくはこの菅原小春さんという存在について、どうしても書き留めておかなければならないという使命感を感じ、それはこのうつというわけのわからねえ割にあわねえクソみてえな病気が治ったとき、そこにぼくの指標が存在すると確信したからです。

 

皆様は、菅原小春さんという方をご存知ですか?

ご存知でない方は、なんかもうなんでもいいので、とりあえず、youtubeで「菅原小春」で検索し、その存在を知ってください。

 

彼女は、プロのダンサーさんです。

現在25歳、10歳のころからダンスをはじめ、そのころから数々の賞を受賞されてきた方だそうです。そして18歳のころ単身ロサンゼルスにわたり、ダンスの修行をされ、今では日本だけでなく海外を飛び回り、ダンスをしている方です。

 

基本的に、彼女が踊るダンスの振り付けはほとんどがご自身の振り付けだそうです。多くの方のバックダンサーをされていらっしゃったりもしますが、彼女を有名にしたのは三浦大知さんと共演されたPVなのではないでしょうか。

 

恥ずかしながら、わたしも彼女の存在を知ったのはそのPV。

そしてその人間性を知ったのは、つい最近放送されていた、日曜日にやってる関ジャムという番組で、三浦大知さんと出演されているのを拝見してからでした。

 

彼女をパッと、テレビ越しに見たとき、「ああ、このひとはきっと、命を賭けている」と感じました。彼女の目や、立ち居振る舞い、存在そのものが、そういう香りのする方でした。そしてその感覚は一切の狂いなく、彼女は踊ること、ダンスそのものに、自分自身すべてをささげているような生き方をされているとわたしは感じました。

 

関ジャムのとき、細かい部分は違うかもしれませんが、関ジャニの村上さんが菅原さんに「ものすごい覚悟をもって、相当腹を決めて踊ってらっしゃるんじゃないですか?」という問いをした瞬間、菅原さんはそれはそれは苦く笑い頷いてらっしゃいました。それこそが、菅原小春さんが、「菅原小春という存在として全身全霊で立っている」証明なんじゃないでしょうかと、思うのです。

 

「なんでこんなに踊り踊ってるんだろう?って毎日思います」

それでも踊りが大好きで、人生の1番上にあると菅原さんはおっしゃいます。情熱大陸では、「月に1度は踊るの辞めたくなる」とおっしゃっていました。

 

「それでも踊るのが大好きだから」と、菅原小春さんは言い切りました。

 

彼女はダンスを、バックダンサーとか、そういう誰かの引き立て役のためのものではなく、ひとつのアート、スポーツ、パフォーマンスとしてみてほしいと、おっしゃっていました。

 

ご覧ください。ぜひ。菅原小春さんのダンスを。映像で、なんでもいい。本当になんでもいいです。絶対に見てください。

 

彼女は「菅原小春」という存在そのものです。そして、存在そのものがアートです。

 

「菅原小春」という存在に菅原小春さんは命を賭し、魂を削り、踊りというものにすべて注ぎ込んで、その内側に存在する灼熱を放出し続ける。

 

わたしは菅原さんの情熱大陸を見ながら延々と泣き続けてしまったんですが、なんでかといえば、本当にその熱に、爆発に巻き込まれて、焦がされてしまったからとしか言えない。そして、「結果を求めていたら大好きだったものが楽しくなくなった」 といった菅原さんに自身の現状を重ね、そして逃げ続ける己と、戦った彼女を比較してしまったこともあるかもしれない。

 

ぼくはただ逃げました。闘えない現状から逃げ、今回だけじゃなく、今までも内側にある爆発を見てみぬふりして、自身の灼熱を無視して逃げ続けた。だって、命を賭したところで、なににもならないのなら怖いじゃないか。それでも菅原さんが、18歳のとき、「大好きだったものが結果を求めたことで楽しめなくなった」ことを理由に、ただひとり、ロサンゼルスにわたり、闘ったことが、わたしの魂をひたすらに焦がしました。わたしは、これからでも、戦うことを許されているのだとおもえた。 というよりも、もしやとすると、今現在も自分自身のなにかと戦っているのかもしれないとさえ思った。

 

情熱大陸の一幕で、「指に命を注いだらこの指一本だけでダンスになるし」と当たり前に菅原さんは言い放ちました。この言葉は、なにかに魂を賭けて、命を賭して、すべてを注ぎ込んでいる人間にしか出てこない言葉でしょう。ぼくはそうだと思うし、少なくともぼくはこの言葉を言うことはできない。

 

菅原小春さんという存在は本当にアートであり、パフォーマーとして完成されつくされている。

観ているもののこころを、たましいを揺さぶり、あまつさえその熱で焦がすことは、どんなに一流でも出来る人は少ない。しかも、おそらくきっと、わたしは菅原小春さんという存在のかけらしかまだ存じ上げないが、それでも、おそらく、きっと、確信に近く、ぼくが思うこと、それは、彼女は彼女自身のことも燃やし続けている。しかも、燃やし尽くしてもなお、足りない。どんなに踊っても踊っても焦がれてやまない貪欲さを持ち続けている。

 

どんなにがんばったって、彼女はモンスターだとぼくは思う。

 

菅原小春という存在を当たり前のように取り繕うことなく、当たり前のように菅原小春として生きている。人間はそれがなかなかできない。だって、よくみせようとか、なんかうまくやろうとか、逃げとか、しかたないとか、あきらめとか、なんか、いろんなもんがあるから、そうやって立ち続けることはそうそうできっこないのだ。もう、ほんとうにすごいんだ。菅原小春というモンスターなんだ。

 

彼女だってきっと、腐る日があって、いやになる日があって、じぶんなんてと思う日があって、それこそただの人間である日があって、でもそれをひっくるめてそれでもなお内側にある爆発を、爆発して発せられた高温度の熱を放出し続けていく。きっと、踊るということから逃げられない人なのだろうと思う。苦しかろうと、憎かろうと、大好きで大好きで、なにをしても足りないのだろうと思う。そういうふうに出来上がっている人間なのだろうと思う。そして、ぼくはそのはてしなく強く、「菅原小春」という生き様に、憧れ、焦がれ、惹かれてしまう。

 

菅原さんは、情熱大陸の映像の中で、「28になったら踊るのをやめる」とか「どーんといってどーんとやめたい」とか「踊るのをやめたら結婚とかそっち(女性のほう)へいく」とかなんとか、そういっていたけれど、彼女はたぶん自分が踊ることがなくなったとしても、踊ることをやめられないような人なんじゃないのかなあとか、勝手に考えてしまうのでした。

 

だって、魂を賭け、命をぜんぶ注いで、そこに立つだけで「菅原小春」というアートである、ということは、一生涯変わらないのだから。それならきっと、一生ダンサーなんだろうなと、一ファンとして、思って、願うのでした。

 

いつか、菅原小春さんと仕事ができるような人になりたい。

 

そのためになにができるかな。そのためにはまず、己の病気を治すところからはじめます。

デカくて生意気な口を叩きながら、いつか、誰かに、「おら見ろ、これがわたしの存在だ」と言える日がくるように、菅原さんは、その指標として、憧れの存在として、やまもとの中に堂々と居座ってくださいました。

 

負けたくねえな。なににも負けねえなにかがほしいな。命を燃やしてでも、証明していきたいと思います。圧倒的な熱量でもって。

 

 

 

 

おわり。

 

 

すべての動画見てほしいんですけど、個人的に1番曲も好きなのと雰囲気が最高なのとで、おすすめしたい菅原小春さんの動画が↓こちら↓です。三浦さんとのやつの次くらいに有名な気がする。ほんと、最高にかっこいい。この、でてくる眼鏡のおじ様も最高なんだ。空間とか、ぜんぶが最高。そして、そこに「在る」菅原小春が最高に引き立つ。最高としかいえないチンケな語彙が恨めしいのですが、とにかく、最高です。情熱大陸で振り付け考えてたやつですね。いやまじで余すことなく最高にかっこいい。

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