うつとしにたい

ひとはしんでも、いいらしい

うつと自傷

 

どうもこんにちは、やまもとくんです。

本日のテーマは「うつと自傷」です。

いわゆる、自傷行為、というものですね。

 

うつ病に限らず精神にかかわる病気の方には、この行為を行う方は少なくないと思います。

リストカットや、OD(=オーバードーズ。お薬を過剰に摂取すること)あたりが多い自傷行為ではないでしょうか。そのほか、わたしであれば、自分の頭などを硬いものでぶん殴ったりしますので、人によって違うとは思いますが、まあ、そういったものです。この記事をご覧の方にもきっといろんな方法をされてらっしゃる方がいると思います。

 

さて、大前提として、この記事では「自傷行為のそのすべてを全肯定した上で進みます

なので、記事の中で、少しでも「否定的である」だったり、「批判的である」だったり、そういう風に感じた部分があれば、ご指摘いただければと思います。もっと最適な表現を模索したいので、ご協力をお願いいたします。

 

まず、なぜ、自傷行為すべてのを全肯定したうえで話をするのか?

 

否定する理由がないからです。

 

単純に、だって、否定する必要ありますか?否定するようなもんですか?

風邪ひいてる人間に「おまえ、熱出してるだろ?今すぐ熱出すのやめろよ!」とか言いますか?言いませんよね?言うとしたらブラック企業とかでめっちゃ納期とか追い詰められてる上司の人がテンパっていうくらいだと思うんですけどどうでしょうかね。いや、ぼくもそんなスーパーヤベエ状態の人見たことないけど。

 

自傷行為って、しちゃうもんなんですよ。うつの「しにたい」の発作が、行動に表れてしまっている状態なので、結局のところ、しにたいの発作がある以上どうにもならないし、周りの人間が無理やり「だめだよ!」とどうにかできるもんでもないんです。

 

どれだけ信頼している人間の「だめだよ」であろうと、止まんねえときは止まりません。そしてわたしは、それでいいと思っています。

うつの人が「死にたい気持ち、自傷行為を止められない自分」を責める必要はないと思いますし、逆に回りの人が「うつの人の死にたい気持ち、自傷行為を止められなかった自分」が無力だと思う必要もないです。あなたはうつ病本人でもなければ医者でもありません。できることはたかが知れています。

 

ただもちろん、あなたの一言で救われる方もいるので、そこだけは諦めないで付き合ってあげていただければ幸いです。お互い肩の力を抜いて「まあ、しゃあねえな、ゆっくりいこうぜ」くらいでいてあげていただければ、と思います。

何気ない「うん、しかたないね。やっちゃったなら、それでいいよ」の一言が、「そんなことしちゃだめだよ」の100倍くらい、心を救うときがあるということを、お伝えしておきます。

 

自傷行為、というのは、人それぞれ動機が違うので一概にこう!というものが言えません。なので、今回は(つってもいつもそうなんですけど)わたしがこう思ったよ!という視点からお話を進めていきます。

 

とりあえず自傷行為はもうあれです、死にたいときにはもう、なんていうか、あれです…うまい例えば思い浮かばないのでアレなんですけど……あの~~~なんていうんですかね……もうあれです、しかたないことと思ってください。

 

そんでも恒常的にやっちまう自傷行為を止めたい!とおもったら、おもえたのなら、止めれるように試行錯誤しましょう。刃物を手元から消し去るとか、首吊れそうなヒモ軒並み隠してもらうとか、やれそうなことは片っ端からやってみましょう。ご家族やご友人にご協力いただけるならそれもベネですね。

 

わたしは1度携帯で頭をぶん殴ってたんこぶ出来て悲しい思いをしたので、頭をぶん殴れそうな硬いものは手元に置かないようにしましたし、とりあえず最初の自殺未遂でカーテンを使ったので、カーテンからできうる限り遠くに寝るようにしました。

まあ昨日全力で錯乱したときは部屋中うろうろして何か自分を殺傷できるものを探した挙句、なにもないからっつって目の前のタンスに全力でヘッドバッドカマましたけどね!わりと驚くほど視界が揺れた。女子レスラーの夢ができました。

 

そんでもって、まあ、多分、自傷行為なんて本来やりたい人なんて本当はいないと思うんですよ。痛いし痛いし苦しいしなんかもうわけわかんないししんどいしきっついし、わたしだってできたらそんなことしたくないんですよ。でも、やっちゃうんですよ。錯乱して「死にたい!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」しか行動原理に存在しないとき、それをやり過ごそうとするとどうしてもやっちゃうんです。ぶっちゃけ絶対死なないのに、それで死ねると思ってやっちゃうんです。

 

わたしはヘッドバッドをカマした挙句、布団でおんおん泣きながらこの世を恨み、自分の腕の肉を引きちぎって死んでやろうと死ぬほど爪を立てて傷をつけまくっていたので、朝起きたらめっちゃ腕いてえの。なんかもうリストカットする人とかマジで尊敬するレベルで腕いてえの。リストカットする人超すげえ。絶対超いてえ。絶対むり。肉ちぎれてない引っ掛かれただけのレベルなにくっそいてえの。なにこれ。マジでなにこれ。驚きがすごい。

 

でも、そんな自分ですら、手元に刃物があったらマジで手首をやりかねないから怖いのが自傷行為であり、死にたいの発作です。

 

手首切ったり、薬たくさん飲んだり、そういうのをアピールするメンヘラと呼ばれる人がインターネットにはたくさんいますね。中には本当に構ってほしいだけの無意味なものもあるかもしれないけど、おそらく8割9割は「本気でしんどいので助けて」というアピールだと、最近わたしは思います。

 

自傷する人は本気で死のうとしています。死ねるわけもない行為ですが、我々は本気で死にたいので、死のうとして、やってます。でも、これはわたしの場合ですが、本当にこの死にたくて死にたくて死にたくて本当にどうしようもなく苦しい状況から助けてもらえるなら、本当は助けてほしいです。死にたくない。ぜんぜん死にたくない。生きたい。でも、自傷行為に走るときは確実に、誰が何と言おうと「死にたい」のです。そして、それが一歩大きく飛び出したら「自殺」という形になります。

 

ド忘れしてしまったのですが、Twitterかなにかで「自傷行為なんか、笑い話にしないとやっていけない」というのを見て、ものすごく納得したのを覚えています。

そうでもしないと、しんどすぎるんです。苦しさを、どうにもできず、死にたいのに死ねず、メンヘラとたたかれ、生きる気力も持ってかれ、それでも生き残る辛さを、どう消化したらいいか、わたしにはわかりません。

その、笑い話にしないとやっていけない、とツイートした方がどういった意図でされたのかわたしにはわかりかねますが、わたしはそのように自分の中で理解して、自分で納得しました(出展がわかる方がおりましたら、ぜひ教えてください)

 

自傷行為Twitterやブログなど、インターネットでアピールしているひとを、どうにかしようとする人が割合見受けられますが、そういう人たちのことは、どうかほっといてください。わたしも含めてね。

ただし、助けたい、なにかをしてあげたい、心配だ、などなど、なにか心動くものがあれば、どうか助けられる範囲でいいんで助けてください。正直なところ、ほかの人は知りませんが、わたしはいつも常に、救いを求めているような気がします。

ただひとこと「うん、そうだね、しんどいね」という肯定だけで、「うん、そうだね、だいじょうぶだよ」という微笑みだけで、我々は大幅に落ち着きます。

 

それでも「つらいの!たすけて!ほら手首切ったの!首吊ったの!自傷行為したの!つらいの!たすけて!!!」っつって辛さを押し付けてくる人は、あなたではたちうちできませんし、多分我々のようなタイプとも違うタイプの精神疾患です。そういうタイプのメンヘラリスカODモンスターたちは8割9割が本当にしんどくて寂しく助けてほしい我々と同じ気持ちをもった人々ですが、根本的な病相自体が違うこともあり、確実にあなた方を巻き込むタイプの技を持っているモンスターです。

あれらのメンヘラモンスターたちだって悪だとは思いませんし、ああすることで落ち着く気持ちも多大に理解はできますが、レベル構成自体が違うダンジョンの生き物なので然るべきダンジョンに返してあげてください。簡潔にいうと病院に行け。

 

そうでなければ、「うん、そうだね」「うん、しんどいね」「うん、へいきだよ」「うん、ここにいるよ」とかなんとか、案外、ふんわりそういってもらえるだけで、結構我々は、しにたいの発作を乗り切れたりします。もちろん、乗り切れないときもあるけれど、乗り切れなかったときにはお互い自分自身を責めたりせず、「今回はちょっとハードだったし今日はしゃあなかったな。明日は平気かもな」って思ってみたりしてください。

そういう些細なことが、そういう些細なことだけで、ぼくらのようなひとは、かんたんに救われることもあるのです。

 

あと、「死にたい」とか言ってるやつ死なない説は水曜日のダウンタウンで立証されたのかと思うほど出回ってますがあれはガチで嘘です。死ぬ死なない関係なく、我々は死にたいと言います。なぜならマジで死にたいから。そして、死にたいピークの時にストッパーがなくなれば死にます。

 

わたしは、リスカやODなどの自傷行為は、そういう自殺のストッパーであると少し、思っています。

死ぬ可能性はあるが、死なない可能性の方が高い行為を行うことで、死ぬことから意識を遠ざけていくという行為こそが自衛行為です。少なくともわたしの自傷行為にはそういう意味が多分に含まれている。

 

昨日錯乱して暴れているときに思ったことをお伝えするのならば「こんなのだったら死んだほうがマシだ」です。生き恥を晒すとはまさにあのことなのだと思います。大体きつくてしんどいので耐え切れるかどうかなんか毎回わかんないです。自分を傷つけることで死ぬことから意識を遠くにやらなければきっとどうにかして死んでいます。

 

もちろん自傷行為を行うのは確実に「死ぬため」です。それを止めたいと思う周りの方の気持ちは間違いなく正しく、正常です。そして、自傷行為そのもので本当に死ぬことだってありえます。日本は馬鹿みたいに自殺の多い国です。突発的に電車に飛び込んでしまったら助けようがない。

 

自傷行為を、構ってちゃんとたたく人がいるかもしれません。けれどそれは、どうにかして、どうにか「死にたい」の波から逃げようとしている、ということも知っていただければと思います。本気で「死にたい」けれど、それと同時に「どうにか助かりたい」という矛盾のつらさ。くるしさ。

 

それを理解しろとは言いません。理解できるわけがないからです。それは、そのつらさやくるしみはその人だけのものです。

 

我々の間にあるのは、「病気か否か」の2択であり、否の人の共感など、おためごかしです。

そして病気の人の「しにたい」は身勝手な吐露です。

 

ただ、それでも多くの人が、自身を傷つけることを少しでもゆるしてあげたり、周りの人がすこしでもそれでもいいんだよといってあげられたり、逃げ道を作っていけれたらいいのかなと、少しばかり、思う次第です。とにかくやさしくありたいなと思うのです。

 

「まあいいか、そういう日々があったって」あなたがそっと思えますように。

 

 

おわり。